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Dr.Fujita注釈

 B17は、公的には依然として無視され続けています。
しかし、実際にはB
17がガンに効くという実験も沢山発表されています。

 B17の治療を受けようとするガン患者さんは、その大半が医者に見放されてからやってきます。

そんな中でも、末期ガンから生還される患者さんも確かにおられます。

できれば、転移があると分かった時点で、このB17による抗ガン治療を開始すれば、

もっともっと多くのガン患者さんを救えるはずです。

以下、第8章から引用します。

 

   第八章 実証されていないといわれる癌療法

 多くの場合、官僚たちは学者的な発言の形をとり、社会福祉という見せかけの関心を示して、
「ビタミン療法は理論としては聞こえはいいが、実際にはまったく効果がない」と発表している。

 アメリカ癌協会は「癌治療に関する実証されていない療法」と題して----

 情報や文献を入手し、詳細に研究したがアメリカ癌協会としては、B17が人体の癌の治療に有効であるとの確証を入手していない。

と言明した。

 

-中略-

 しかし、一般市民にとっては、アメリカ癌協会が、「B17療法は効果の証明されていない癌治療法である」と言明さえすれば、
「それで必要なことは全部知り得た」ということになってしまう。

-中略-

しかし、同協会に所属する臨床医は癌患者にB17を使って良好な結果をみている。

誰かが間違っているのだ!

 B17の場合には、詐欺にかけられていたことを明らかにするだけでは、そのすぐれた特性を確立することにはならない。

だから少なくとも、B17を実地に使っても、理論通りに「実際に効く」という多数の証明を検討する必要がある。

栄養芽層学説を支持する臨床的証拠

-中略-

癌細胞を抹殺するB17の実験研究

 パーク博士は、動物組織での一連の実験で次のように述べている----

 B17は、正常細胞には少しも有害な作用を与えないが、
B17が癌細胞に接触すると、多量の青酸化合物とベンツアルデヒドを放出して、癌細胞を全滅させる

人工培養した癌細胞にベータ・グルコシダーゼ(酵素)とB17を作用させると、
癌細胞がまるで殺虫剤をかけられたように死んでいくのが顕微鏡で観察できる。

 また、1971年に、プラハで開かれた第七回化学療法国際会議に参加したバーク博士は---

 B17は、肺癌を含む各種の癌に有効である。しかも、絶対に無毒である。

-中略-

-中略-

 しかし、「予防」はできるとしても、ひとたび癌にかかった人の「治療」はどうなるのであろうか。

ところが、すでに「人」でも、B17療法は癌患者を救うことが実証されているのである。

結論を先にいえば、X線(レントゲン)や毒性の強い医薬品でその人の身体が、
めちゃくちゃにやられてさえいなけれぱ、うまく行く
のである。

ただ、不幸なことに、ほとんどの癌患者は、現代医学主流派の癌治療を受け続けた末に、
つまり病状がひどく進行して希望のない宣告を受けてから、やっとB17療法にたどりつく。

 そのとき、大部分の病人は、まず2、3週間とか、あと2、3カ月しか生きられない状態である。

最後の救いの手段として、やっとB17療法を始める時には、すでに死に直面しており、悲惨な状態にある。

このような患者はB17療法を行っても死亡することが多い。

こうした死亡例も統計的には、すべてB17療法の制御率に細み込まれる。

だが、このような末期重症の患者でさえ、何人かは奇跡的に治った例がある。

これこそ、B17の大きな勝利を現実に示すものであろう。

-中略-

アメリカ癌協会は
「B17で助かったとしている人は、ただ癌に対して“心気症″であっただけで、実際には初めから癌ではなかったのだ」
との印象をでっち上げようとしてきた。

しかし、過去の記録はまったく違った経過を物語っている。

末期癌がB17で治った実例

 ここに、いくつかの例を紹介しよう。

(1)カリフォルニア州パイノルに住むデービッド・エドマンズ氏は、1971年6月、膀胱転移のある「結腸癌」で手術を受けた。

外科医は開腹して患部を調べたが、癌組織が非常に広範囲に侵蝕していて、全部を取り除くことは不可能であった。

腸の閉塞部を除くために結腸を切断し、腹部に人工肛門をつくった。

 手術から5カ月後に、またもや容態が悪化し、あと2、3カ月の命といわれた。

正看護婦であったエドマンズ夫人は、B17の話を聞いていたのでのでやってみることにした。

エドマンズ氏は、その後、6ヶ月後にはほぼ正常に戻り、気分もさわやかになって、医師たちを驚かせた。

膀胱鏡で検査したところ、転移の癌が完全に消失していた。

 「結腸を元通りにつなぎ合わせる」ために再入院したが、手術の結果、癌組織らしいものさえ見つからなかった。

すっかり回復して退院したのであるが、結腸癌で普通とは反対方向の再手術(人工肛門を止めて、腸を元通り結ぶ)を行ったのは、
この病院の開設以来、初めての出来事であったという。

 現在も、エドマンズ氏は健康にあふれた毎日を送っている。

(2)1967年、カリフォルニア州ウオルナット・クリークに住む主婦ジョアンヌ・ウィルキンソンさんは、
脚の股のすぐ下に発生した癌の切開手術を受けた。

4カ月後に再発し、またも筋肉と骨部を再手術で切り取った。

さらに1年後に「そけい部」(股のつけ根)に痛みのあるしこりができて、水がたまりはじめた。

 「生検」 (少し切り取って調べる)の結果、癌の再発で、しかも広がっていることが分かった。

こんどは脚や腰の一部だけでなく、膀胱や片方の腎臓も切除せねばなるまいと医師は診断した。

医師の計画では、両肺に転移があるかどうかを切開して調べることであった。

もし肺に転移していると、もはや夫人を助けることはできないので、手術を見合わせるより他ない。

 この時、夫人の妹と友人の強いすすめもあって、ウィルキンソンさんは手術を断念し、B17をためそうと決心した。

 これを聞いた主治医は非常に驚いて、
手術をしなけれぱ、おそらく3カ月は生きられない」と説得したが、夫人の決心は変わらなかった。

次は夫人の手記である----

 1968年11月16日、土曜日のこの日は決して忘れないでしょう。

生検を受けた後、まだ激しい痛みが脚に残っていた。

クレプス博士は、「B17の注射をしたので腫瘍に反応が起きたようです」といった。

クルミ大から小さなレモンの大きさまではれ上がり、4、5日出血がありました。

しかし、毎週、月・水・金曜の3日間、注射を約5週間続けると、癌は小さくなり、少しも痛みを感じなくなりました。

第1週日の月曜日にレントゲン撮影があり、その後も規則的に続けて、病気の進行状態が観察されました。

注射は6カ月、週3回、10CCずつ打たれました。

食事は酪農製品(肉・乳製品)や卵、白い小麦粉で作った料理もいけないと言われました。

 しかし、白身の魚、鶏肉、七面鳥の肉は許されました。

1969年8月、素晴らしいことに、医師からもう注射の必要はないといわれました。

レントゲン撮影の結果も鮮明で、腫瘍が縮んでおり、組織の中に痕跡を残していても、活動体ではなくなったと確認されたのです。

 「手術をしなけれぱ3カ月以上は生きられない」と医師から告げられて以来、
何カ年か過ぎ去った今でも、夫人は健康でしかも生き甲斐のある毎日を送っている。

夫人はあの恐ろしい虎口を脱したのであるが、あとに残った唯一のことは生体検査の傷跡だけである。

(3)カリフォルニア州サンパプロに住むジョー・ポテルホ氏は、

医師から「この前立腺癌は切開(尿道から行う摘出術)するほかない」と告げられた。

そのとき、同氏は-―

私は「癌が広がるだけだ」と思ったので、手術は受けなかった

医師は「それではあまり長生きしない」といった。

また、医師は私にコバルト照射を施したかったが、私は賛成しなかった。

私はある健康食品店で、サンフランシスコのB17を使う医師の噂を聞いたことがある。

 その医師を訪ねて診断を受けると 私の前立腺の大きさは石鹸ぐらいもあると告げられた。

1969年1月から一年間、数ヵ月にわたって4日ごとに、注射してもらった。

 ポテルホ氏は当時65歳であったが、特に膵臓酵素・トリプシンを消耗しないような食事(純植物食)を厳重に守った。

同氏はもう癌にはおかされないし、髪は再び黒くなって若々しくなったと報告してきた。

なぜこんなに若返ったのか、この人自身は分からないが、おそらく食生活が改善されたからだと思っている。

(4)有名な喜劇役者のレッド・パトンズ氏の妻アリシアさんも、

B17のおかげで生き残ることのできた、何千というアメリカ市民の一人である。

ロサンゼルスの癌会議で、レッド・バトンズ氏は次のように述べている-―

 B17は私の妻、アリシアの生命を救った。

ここにいるアメリカの医師たちは、昨年11月、私の妻の生命はあと2、3カ月といっていた。

しかし、どうであろう。妻は現に生きており、美しく活力に満ちた妻であり、母親なのだ。

私たちは、神と自己の科学的信念のために敢然と立ち上がった素晴らしい人々に、心から感謝を申し上げる。

 かつて、バトンズ夫人は喉頭癌が悪化して、さんざん苦しんだ末に、

主流派の臨床医師から「もう末期癌で手がつけられない」と告げられた。

しかし、九死に一生を願って西ドイツ・ハノーバーのジルバーシー病院のハンス・二―バー博士のB17療法を受けた。

夫人の癌は2、3カ月で完治した。

痛みは消え、食欲も正常になり、かつてなかったほど丈夫になった。

 アメリカの医師たちは、この驚異的な回復を確認したが、

ただ、ビタミン的物質だけで癌を征服したとは、どうしても信じなかった。

(5)多くの医師たちが、しぶしぶ、癌に対するビタミン説が真実であることを認めた例として、
カリフォルニア州マリン出身のもと癌患者のキャロル・べンジュース嬢が、自分の体験を鮮やかに説明している。

 彼女はメキシコのチワワで、アーネスト・コントレラス博士のB17療法を受け、見事に成功した後に帰国した----

 私は、以前に治療を受けた医者を訪れた。

その医者は、「さて、その病院ではどんな治療をしました?杏の種を割って、
仁をたっぷりと食べさせられ、杏を焼いて香を吸いました?」とたずねた。

私は、「OK、冗談はもうたくさんよ」と答え、
「マリン・タイムズの医学欄(ここには、B17の情報が記載されている)を読んでいただけませんか」とお願いした。

医師は「その件に関してはもう何も考えたくない」といった。
私がぜひ読んで欲しいともう一度せがむと、その医師は「キャロルさん、結局はあなたが私を助けるような立場になったようですね。
私はいま不眠症にかかっている。もしかすると、この記事を読むと、眠れるようになるかもしれない」と答えた。

 彼女は、数年前に、寝汗、痒み、発熱、頭痛などの自覚症状が表れたので受診した。

病院での検査の結果、「ホジキン病」と診断された。

それは、初めに身体のほうぼうのリンパ腺がはれてくる一種の癌である。

 更に、彼女の手記を続けよう----

 あれから、ほんの2日ほどして、友人が私を訪ねてきて、B17を使うメキシコのビタミン療法の話をしてくれたが、

私はそんな話は問題にしなかった。

 その頃、私は自分の選んだ医師だけがすべてと信じていた。

その医師は最初コバルト照射をやった。

間もなく医師は「キャロルさん、この治療であなたは不妊症になるかも知れませんが、もちろん知っているでしょうね」といった。

私は「いやです。知りません。当然、大きなショックです。28歳で更年期になるとは----」

 コバルト照射の副作用として、何ともいえない苦しみ、食欲減退、さらに一時的な脱毛などが起こった。

コバルト療法6カ月で、肺と心のう膜(心臓を包んでいる二重の膜)に水が溜まった。

医師たちは注射器で水を抜き取ったが、水は取るほどたまるばかりであった。

彼女はついに軽い心筋梗塞を起こした。

6週間に3回も水抜きをしてもなお、心のう膜を手術すベきかどうかを決めかねていた。

1970年1月28日、ついに手術が行われた。

翌年の7月頃までには、全身の疲労、不眠、食欲の減退などがまた起こり、病状は悪化する一方であった。

 ここまで追いつめられて初めて、彼女はB17療法を受けてみようと決心したのだ。

 第1回目の注射で、軽い吐き気がした。

2週間後に2回目の注射、この時、急性の吐き気と下痢を併発し、

それからの1週間は、”あご″に激しい痛みが続き、そのために食事もできなかった。

さらに、1週間後、こんどは偏頭痛が起こり、胃や足がけいれんした。

合計して4週間も、こんな状態が続いた。

しかし、その後の10日間で、それまでの何年間、まったく味わったことのない爽快な気分になった。

このような反応が起こっているのは、まだ病気が活動しており、半面、B17がある程度効いているからだと教えられた。

この頃から病状は下り坂となり、痛み、不眠、疲労などが回復に向かい始めた。

その時、私は今後どんなことが起きても、2度と化学療法は受けまいと心に決めた。

 べンジュース嬢は、いずれにしても病気回復の見込みはまったくなかったので、

メキシコまで行って、B17療法を受ける決心をした
、と結んでいる。

 コントレラス博士は彼女に、ホジキン病は、肺、膵臓、肝臓、結腸などの癌よりも、

B17の効果は遅れるが、B17使用の価値は十分にあると告げた。

第3回目のB17が投薬され、痛みは完全に消え、その後一週間もしないうちに、ほとんど正常な状態に戻ったと感じた。

完全な健康を回復してからも、彼女はB17の維持量を服用し続けている。

 B17の「維持量投与」は大切である。

ひとたぴ癌にかかり、ビタミン療法で治った人は、B17の必要量が、普通の人よりかなり多くなっている。

もちろん回復すればB17の服用量を減らすことはできるが、完全に中止すると癌が再発することが多いのを、

B17療法の専門家たちは経験している。

B17使用の医師たちが「B17は癌を治す」とは決して言わないのはこのためである。

正確にいえば、「癌を制御(コントロ-ル)する」といい、「治療が続く」ことを暗示している。

(6)カリフォルニア州ツアラ郡長官の妻、マーガレッ卜・デグリオ夫人の例は、もっと劇的であった。

が、同時に悲劇的な体験を物語っている。

夫人の癌は2回も手術を受けたのに依然として悪化し続けた。

3人の医師から、もはや回復の望みも薄く近代医学ではこれ以上のことは不可能だと告げられた。

夫のマイク・デグリオ氏は、B17のことを何かの本で読んだことがあるので、治療のために夫人をメキシコに連れて行った。

これも、同じような話であるが、とにかく、この夫人もすぐ回復に向かい、厳密な治療4カ月で初めの癌の症状はほとんどなくなった

そこで、カリフォルニア州北部の郷里に帰った。

アメリカの医師たちは、夫人の病気がなぜ、こんなにも回復したのか説明さえできなかったが、

とにかく、腫瘍が急速に消滅した事実は確認できた。

 しかし、夫人はその後間もなく、ひどい呼吸器系統の伝染病にかかり、肺炎と診断されてサンフランシスコの病院に入院した。

3週間以上の入院中、主治医や病院関係者たちはカリフォルニア州の法律にふれるということで、B17の継続投与を拒絶した。

今まで癌を制御していたB17の限界点を割って、肺炎ではなく癌のために1963年10月17日の夜、息を引き取った

(7)カリフォルニア州サンタポウラ出身の”手足治療医″デール・ダナー博士は、

1972年に右脚の痛みとひどい咳におそわれた。

レントゲン検査で、両肺の腫瘍と脚には転移癌らしいものが見つかった。

このような癌は手術が不可能で、放射線治療もむずかしく、不治の病気である。

 博士は母親のすすめで、しぶしぶではあったが、B17を使用することにした。

母親を安心させるために、メキシコから大量のB17を入手した。

しかし、B17はインチキであると「医学雑誌」で知らされていたので、そうだろうと信じていた。

報告書には、多量の青酸化合物が含まれているとあるので、B17は危険なものに違いないと考えていた。

 自覚症状が表れて2、3週間もたたないうちに、痛みと咳が現代医学では手がつけられないまで進行したと自分でも分かっていた。

手や膝がいやにむずむずして、3日3晩眠れず絶望の境地に陥った。

睡眠不足、薬、痛みなどの混成軍にせめられてグロッキーになった博士は、

ついに「持っていたB17」を使えぱ眠れるのではないかと考えて、標準の10から20日分を動脈に直接注射した。

36時間も眠り続け、目が覚めて驚いた

 自分がまだ生きている上に、痛みや咳もまったく薄れていた

食欲は正常になり、この何カ月かよりずっと気分がよくなっているではないか。

B17が癌に効くことを不本意ながら認めた。

さらに、B17を求め、前回より少量で治療を続けた結果、3カ月後には仕事に復帰することができた。
 

-中略-

B17が癌に効くという証拠はいたるところにある

 一部の医師たちは栄養(代謝)医学に対して職業的な偏見を持っているので、何か他に説明を探し求める。

その人たちの好きな解説は「放射線や化学薬品が、B17を使う前に与えられていたので、

それらが後になって効果を表したのだ」ということである。

たまたま、B17以外に前もって何も治療していない時には、最初から癌ではなかったのだろうと答える。

 また実際に、癌の実在が手術や生検などで確認されている病人がB17療法で治った場合には、

自然治癒したのだと主張するのがおきまりである。

 医学的な治療を受けなくても、癌の発育が止まったり、自然消滅したりすることは、事実としてあることである。

しかし、それは統計的には極まれな例証である。

-中略-

-中略-

 

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